民生委員親睦旅行 八幡温泉(長野県)

民生委員親睦旅行  八幡温泉(長野県)
民生委員親睦旅行  八幡温泉(長野県)
民生委員親睦旅行  八幡温泉(長野県)

1月21日~22日(1泊)

信州千曲川のほとり、あまり世間では知られていない、信濃鉄道の屋代駅から10分程行った、小さな温泉郷、八幡温泉に生活部会の仲間とOBでの、親睦旅行です。

bus宿からの往復送迎付きバスが、南越谷駅迄迎えに来てくれて、11名で8時に出発しました。上信越自動車道を下り更埴ICで降りました。早めのお昼を、今日宿泊の八幡温泉『うずら屋』さんに立ち寄り、打ちたて揚げ立ての信州そばを、お代わりし放題でお腹一杯食べました。やはり本場の新そばは香りが有って美味しかったです。午後からは宿から1時間ほどの松代市へ、真田宝物館に入館、ボランティアの方の説明を聞きながら、一つ一つゆったりと見て巡りました。

    『真田宝物館』

  shoe真田宝物館は松代藩主真田家に伝わった、大名道具を収蔵展示しています。昭和41年12代当主真田幸治氏より松代町に、伝来の道具類が一括で譲られたので、宝物館が開館されました。

   『真田氏について』

   shoe真田氏は今の上田市が発祥の地で、歴史上その存在が確認されるのは、戦国時代の真田幸綱の頃からです。幸綱は武田信玄の下でその才能を発揮し、名を轟かせました。幸綱の長男信綱と二男・昌輝が長篠の戦いで共に戦死すると、三男昌幸が真田家を継ぎ、上田城の築城など、真田家繁栄の基礎をつくりました。

 昌幸は長男・信之、二男信繁(幸村)と共に、戦国乱世の中で武略と奮戦によって、武門真田の名を高めました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは親子・兄弟分かれて戦い、戦後徳川の天下となって以降、信之は父の上田領を与えられ、父・昌幸は高野山ろくに蟄居させられて没し、弟・幸村は冬の陣に大阪城に入り、徳川軍を悩まし、夏の陣の華と散りました。

  元和八年に信之は上田から、松代十万石の藩主として移り、この後、松代藩は真田氏により十代約250年の間、信濃の雄藩として治められました。先代の、親兄弟に分かれての、辛い戦いがあって真田家を守り残した、武士魂には驚きます。

 真田家の当主の方は、現在横浜にお住まいで、慶應大学の教授だそうで、松代のお祭りには藩主として、ご本人が殿様の装俗をして出られるそうです。私も学生の時は日本史が好きで、時代物はとても興味が有ります。

   『松代城趾』

 松代藩は千曲川を堀として、三方を山に囲まれた平城でした。真田氏は十万石の信州一の大藩でした。1995年に、石垣だけしか残っていなかったのを環境整備して、文献調査や発掘を進めて、櫓門、木橋、石垣、土塁、堀、などの修理修復をはじめ、2004年4月より江戸時代の姿に再現されて、公開されています。

  『文武学校』

  藩士の子弟の学問・武芸を奨励するため、真田家八代藩主・幸貫は、佐久間象山らの意見を受け入れ、藩校の建設を目指し、九代藩主幸教が意志を受け継ぎ、安政二年(1855)に開校しました。文学所・御役所・教室二棟(東序、西序)、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所、文庫蔵、番所、門などからなっています。 8歳から14歳位までは文学などの勉強を、15歳から35歳までは武芸を習ったといわれています。一時期松代小学校として、使われた事もありましたが、昭和28年に国の史跡に指定され、昭和54年から一般公開されるようになりました。

  松代の町並みの風情が、ゆったりのんびりの散策には、冬の景色と合い間って、久しぶりに落ち着きました。Mさんが松代城趾前にある和菓子屋『竹風堂』の栗餡の最中を皆さんに買って下さり、大変美味しかったです。私もお土産に栗ようかんを買ってきました。本店は小布施にある和菓子の老舗です。長い白壁塀をあるき、真田邸を時間の都合で抜かして、バスに戻りました。

  『武水別(たけみずわけ)神社』

 うずら屋の目の前が、武水別神社なので、部屋に上がる前に皆さんで、お詣りをしてきました。樹齢何百年の大木が、神社の荘厳なたたずまいが、一層歴史の重さを感じさせます。謙信や信玄も戦勝祈願に詣でた、由緒ある神社です。近在の五穀豊穣と千曲川氾濫防止の祈願のために、創建されました。お社の銅板の、屋根の蒼さが私は好きです。 早めの宿入り温泉に浸かり、六時からの夕食、カラオケを交えての、楽しい一夜を明かしました。

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民生委員親睦旅行Ⅱ (姨捨駅)

民生委員親睦旅行Ⅱ  (姨捨駅)
民生委員親睦旅行Ⅱ  (姨捨駅)
民生委員親睦旅行Ⅱ  (姨捨駅)
  

  二日目、

 ゆっくりの朝食を済ませ、宿を9時に立ちました。昨日の夜からの雨が雪に変わり、姨捨山(おばすてやま)の中腹迄、うっすらと雪化粧、やっと雪国に来た実感がしました。バスで姨捨山の中腹迄登り、眺望台から善光寺平の雄大な景色を、見下ろしました。

 そこから下に下り、姨捨駅のホームの中に入り、全国で珍しい、スイッチバック式停車駅を見学しました。駅から善光寺平の眺望と、鏡合山から上がる月がゆるやかに続く、棚田や千曲川に映える美しさは、昔からこの場所を田一枚一枚に月が映る景色を『田毎の月』と呼んでいるそうです。訪れる価値のある観光駅としてスポットを浴びています。

 姨捨公園長楽寺境内には、名月に感動して、更科紀行で詠んだ、松尾芭蕉を始め、高浜虚子・小林一茶などの、句碑が建てられていました。姨捨駅から、九つの国鉄の駅を眺望する事が出来、夜景は素晴らしく、日本三大車窓の一つに上げられているそうです。残念ながら今回は、時間の関係で雪の棚田で我慢しました。横川で昼食を取り、ゆったりとしたスケジュールで、皆さんとのコミュニケーションも、充分とれた旅行に成りました。

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美味いもの

美味いもの
美味いもの
旅行の楽しみは、今まで出会ったことの無かった珍しいものや素晴らしい景色や、その土地ならではの美味しいものに出会う楽しみです。今回は岡山駅で買った『桃太郎祭りずし』の甘めの酢飯が良かったです。石見銀山朝日庵の本場の『出雲そば』が生わさびが利いて美味しかった。帰りの新幹線のぞみに、名古屋から積み込まれた、『抹茶ひつまぶし日本一弁当』は、手に取った時は冷たくて、チョットがっかりしました。と言うのも先日名古屋のお父さん(娘婿の父)にご馳走になった、本場蓬莱軒のあの美味しかったひつまぶしを頭に描き、すごーく期待をしていたのです。駅弁ですから、まあまあと思い、冷たいひつまぶしを食べ始めて、一口ご飯を口に入れると、お米がしっかりとタレにからまり、甘辛い味が口の中一杯に広がりました。冷めてはいますが、うなぎの蒲焼きもふっくらと柔らかく、大変美味しかったのですが、残念ながらひつまぶしの、三回楽しめる食べ方が列車の中では出来なかったことです。玉造温泉の宿の食事は、山海の旬の食材と、やはり出雲そばかな。宮島の宿は瀬戸内海を前にして、鯛の刺身やかぶと煮など、懐石料理が次々と出てきました。時期はずれと言う事で、牡蠣は出ませんでした。最後にやはり『広島焼き』でしょう。22人が一緒に食べれる場所を捜して、事前に予約を入れておきました。広島駅前のビルの6階に屋台村のように広島焼きのお店が沢山有るのです。11人づつ二っに分かれてお店に座りました。後2~3人来たら一杯になるような小さなお店です。11人分を一遍に手際よく焼き始めました。小麦粉の生地を鉄板に丸く伸ばしながら焼き、その上に山ほどのキャベツを積み上げ、又その上にイカ天をのせ、豚バラ肉を2枚目のせました。生ラーメンの玉をゆでて湯切りした物を、鉄板にのせ油を引き、良く炒めキャベツの上に又のせます。別に卵一個を割り、黄身を崩して丸く焼いた卵の上に、キャベツを下にかえしてのせます。へらで上から押さえつけながら薄く落ち着かせ、おたふくソースを刷毛でぬり、アサツキねぎを山にのせ出来上がりです。それぞれの鉄板の前に置き、保温をしながらへらで食べます。初めての体験興味深々、お味も大満足すっごく美味しかったで~す。出雲大社・石見銀山・厳島神社・二泊三日の旅も終わって仕舞いました。又来年元気で旅行に行きたいです。

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広島平和記念公園

広島記念公園
広島記念公園
宮島口から広島電鉄の電車に一時間乗り、原爆ドーム前駅で降りました。旅行も三日目になると、大分お疲れの方も出てきているので、12時に集合と言うことで、二つに分かれて行動しました。残り組は主人の担当で、4人残りました。後の人達は一時間の時間を有効に見ようと、足早に平和記念公園へと向かいました。公園の中は広々と芝生が広がり、その真ん中に原爆死没者慰霊碑が有り、お詣りをさせて頂きました。広島平和記念資料館に皆さんと入り、駆け足でサーと見て回りました。中にはドームの鉄骨が保存されていました。当時の写真や遺品、熱線や爆風で千切れたり、溶かされたりした衣類や道具類が、陳列されていました。原爆投下の広島市内の模型は、直後の様子の凄惨な凄まじさを、克明に教えてくれています。昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて、原子爆弾による被害を受けました。この辛い現実をとらまえて、今だに心と体に大きな痛手を受けた、被爆者が苦しんでいます。世界人類がが一つになり、核兵器のない平和な社会を、実現しなければなりません。地球の温暖化対策にも、協力していきましょう。

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広島電鉄

広島電鉄
広島電鉄
広島電鉄には初めて乗りました。二両連結でチョット外観は、トロリーバスを思わせます。都心の都電を想わせる路面電車です。乗車はバスの様に乗車地で札を取り、降りるとき その番号の料金を払うのです。ビックリしたのは、そのスピードです。路面電車なのにノンビリと走らないのです。スピードを上げると路面のせいか、体が左右に揺れ動き、少し気持ちが悪くなって来ました。広島も大都市なで交通の便は、良さそうです。原爆ドーム前駅から広島駅まで、又10分ほど乗りましたが、次から次えと電車がつながって、走っていました。

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厳島神社拝観

厳島神社拝観
厳島神社拝観
雨も上がり楽しみにしていた旅行も、今日1日と成りました。宿から歩いて七〜八分の所に、厳島神社が有ります。神社の主祭神は三人の女神様をお祀りしています。御社殿の創建は推古元年(593)で、仁安3年(1168)に平清盛が、現在の規模に造営しました。平成8年(1996)12月に、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。宮島は昔から神の島として崇められていたので、御社殿を海水の差し引きする所に、建てたと言われています。有料のガイドさんをたのみ、しっかりと説明を聞きました。今回は御朱印帳を、忘れず持っていったので、出雲大社と厳島神社の、二つの御朱印を頂きました。

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厳島神社 ライトアップ

厳島神社  ライトアップ
厳島神社  ライトアップ
宮島桟橋には、今日宿泊する宿の係の方が、傘を持ってお迎えに、来てくれていました。桟橋から五分ほど歩いた処に『みや離宮』があります。夕食を7時と決め、各部屋に分かれ、サッと一風呂浴び、石見銀山ウォーキングの、汗を流しました。明日は広島市内を電車を乗り継いで、広島駅に行く事になっているので、全員に宅急便代金1000円の補助をして、手荷物を軽くして貰いました。ラッキーな事にホテルの売店で、もみじ饅頭を五千円以上お買い上げの方は、宅急便代金は無料と言うことで、もみじ饅頭と衣類,リュックまで詰め込んで送りました。お陰で大事な旅行代金を入れた、ショルダーバック一つになりました。前日の宴会と違い、今日は荷物をまとめたり、厳島神社のライトアップを見に行ったりと、最後の宿泊は忙しかったです。夜の暗闇のなかに、赤い厳島神社の鳥居が、クッキリと幻想的に映し出され、夜遅く傘を差して、見に行っただけの事はありました。

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宮島へ

宮島へ
宮島へ
宮島口桟橋に、PM5時30分に着きました。JRのカーフェリーに乗り、宮島口より厳島神社のある、宮島桟橋に向かいました。乗船時間わずか10分です。島の人口は2000人、神社は勿論ホテル,土産物屋,学校,病院,何でも揃っています。15分置きに出航して,島の人達の足になっています。

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石見銀山 五百羅漢 龍源寺間歩

石見銀山  五百羅漢 龍源寺間歩
石見銀山  五百羅漢 龍源寺間歩
石見銀山  五百羅漢 龍源寺間歩
♪♪『岩見路ひとり』の演歌に惹かれて、越谷から遠路遥々、二十二名の団体を組んでやって参りました。毎年一回、6~7月頃、骨子は主人の従兄弟とその連れ合いの6人が基になりますが、その姉妹や幼なじみ、町内の友人で永年子供の頃からお付き合いのある気の知れた人達で旅行をしているのです。出雲大社に気持ちの良いお詣りができ、一路世界遺産に最近登録された、石見銀山に貸切バスで向かいました。今日は宿からバスを1日貸切なので、ポシェット一つで身軽に見学が出来ます。バスは中型で36人乗り、車内はユッタリとしています。銀山公園にはお昼に着き、五百羅漢さんの前を通り(時間が無い)、町並み地区の入り口近くにある、『朝日庵』と言う出雲蕎麦屋さんを予約しておき、そば定食を食べました。古代米もついて、本場の十割そばは美味しかったです。古い町並みを20分程下ると、大森代官所跡に出ます。町は小さな処で、銀山坑道までは山道を三キロ以上歩かなければなりません。私が足に自信の無い人を12人まとめて、銀山巡回バスに乗り、他の人は遊歩道の山道を一時間かけて、清水寺前まで行き、後は龍源寺間歩までみんなでゆっくりと登りました。銀山は1715年に開発され、1943年昭和18年までの228年間も堀続けられたのです。江戸時代の坑道(間歩)は、長さ600㍍有り、坑道の高さは1.6〜2.1㍍、幅は0.9㍍1.5㍍あり、ノミで掘った跡が当時のままの状態で残っています。観光用の間歩の長さは273㍍です。2007年7月にユネスコの世界遺産に、登録されました。岩見銀山の遺跡を後世に引き継ぐために、観光バスや車は、『石見銀山方式パーク&ライド』を実施して、事前の予約を取らないと、(狭い場所なので)停めることができないのです。一汗かいての銀山ハイクは、歩ける喜びと爽やかさに包まれた、3時間30分でした。夢にまで見た石見銀山の見学を終え、広島へとむかう途中から、雨が降り出しました。梅雨の中不安定な季節なのに、お天気はまずまず付いています。

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出雲大社 参拝

出雲大社  参拝
出雲大社  参拝
出雲大社  参拝
6月2日玉造温泉白石家を、8時30分に出発しました。今回の旅行のメインでもある、出雲大社へ向かいました。お土産物屋さんのガイドさんを頼み、1時間30分をかけて、拝観と参拝をしました。出雲大社の御祭神は、大国主大神(だいこくさま)をお祭りしています。出雲の神様は、縁結びの神様として、すべての人々から広く深く信仰を受けています。人間の幸せの縁を、結んで下さる親神様なのです。社殿は本殿・拝殿・神楽殿・宝物殿からなり、神社最古様式を伝える『大社造』といわれ、簡素な気高い姿は、今日も壮観で圧倒的な、印象を与えます。出雲大社の祭祀は、皇室のご先祖の、天照大神(伊勢神宮に鎮座)の第二の御子の、天穂日命(あめのほひのみこと)が出雲大社の創建と共に、大国主大神にお仕えになって、それ以来天穂日命の子孫が、男統連綿として、出雲国造(いづもこくぞう)と称し、その祭祀を継承しています。現在の宮司様は、第八十四代千家尊祐(せんげたかまさ)様です。拝観中偶然にも、千家宮司様に拝殿のまえで、お会いすることができ、親しくお言葉を頂き、越谷の久伊豆神社の小林宮司様のことも、良くご存知でした。出雲大社での参拝の仕方は、他の神社と違い、『二礼四拍手二礼』と言うことで、お詣りをしてきました。
千家宮司様の写真が、写真を写したので、チョットうつりが悪いです。

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玉造温泉

玉造温泉
玉造温泉
松江市内めぐりは、宍道湖や堀割りの景色を、ながめ三時間ゆっくり、散策が出来ました。松江駅から、玉造温泉駅まで、10分位いで着き、ホテルのマイクロバスが、三台でお迎えに来て居ました。白石屋は綺麗で大きな、和風のホテルです。大女将・中女将・若女将と綺麗な、三人の女将さんが、売りなのです。夕食時には、従業員による、パフォーマンスで安来節と銭太鼓を踊ってくれました。銭太鼓は若女将が一生懸命踊ってくれました。その後は、カラオケで九時過ぎまで、盛り上がりました。男性の湯は彦星、女性の湯は織り姫、お肌がツルツルして来ました。温泉の入りかたは、着いて一風呂、寝る前に一風呂、目覚めて一風呂を実践して来ました。

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小泉八雲記念館

小泉八雲記念館
小泉八雲記念館
小泉八雲記念館
松江城内を、一巡りして、二番目の見学所、小泉八雲記念館に向かう途中、お城の堀に、屋形船が次からつぎへと観光客を乗せ遊覧をしていました。風景は昔にタイムスリップです。小泉八雲は、ギリシャで生まれ、16歳の時左眼を失明している。19歳でアメリカに渡り、赤貧の生活を経て、ジャーナリストとして活躍、明治23年39歳の時、特派員記者として来日した。知人の紹介で、島根の中学の英語教師になり、小泉セツと正式に結婚をしている。松江 出雲の風土 精神性をこよなく愛していた。塩見縄手の侍屋敷で、生活をした。松江には一年三カ月しか居なかった。熊本・神戸・東京と移り住んだ。その間小泉八雲となり、日本に帰化する。明治37年54歳で亡くなっている。塩見縄手道りは日本の道百選になっている。三番目は武家屋敷に入り見学、松江藩の六百石程度の中級藩士が、屋敷替えによって入れ替わりに住んだ所です。

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松江城

松江城
松江城
松江城
岡山で、やくも9号に乗り継ぎ、松江駅には12時34分に着きました。越谷から約七時間掛けて、伯耆の国松江にやってきました。松江市街地と近郊の観光スポットを結ぶ、便利なバス『ぐるっと松江レイクライン』の1日乗車券を購入。荷物はロッカーに預けて、松江城に向かいました。徳川家康の孫、松平直政が居城で、18万六千石の、城下まです。松江城は千鳥城ともいい、全国に現存する12天守の1つです。大きさは二番目、高さは三番目、古さでは六番目です。昭和25年に、『重要文化財』に指定されました。私達は、三館共通入場券を購入見学しました。( バス代500円・ 共通入場券 920円)

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岡山駅に着きました

岡山駅に着きました
平成20年6月1日、2泊3日で悠々会の人達と、東京駅から岡山駅に着きました。のぞみ九号博多行きで、予定どうり22名無事に、岡山に入りました。所要時間3時間20分

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帽子の一人旅

帽子の一人旅
日本航空で行く[麗らか四国の旅]にご主人様と一緒にお供をしました。お気に入りのhatちゃんで~す。目一杯のお洒落をして、付いていきました。羽田からJAL1461便で松山へ。ご主人様は明るくって、歳の割には行動力もあり、何にでも興味を持ち、知りたがりますが、うっかり屋で忘れん坊が、たまに傷なのです。今回も私(hatちゃん)を、1日も気が付かず、忘れていたのです。前日雨で、私をかぶらず、2日目のバスの中で、思い出したのです。前日から撮った、デジカメを調べると、雨のせいだけでは無さそうに、どの写真も、私をかぶっていません。やはり私を機内のポケットに、置き忘れたのでは?ご主人様はバスガイドさんに、松山空港の電話番号を聞き、宿から電話をして、私の捜索願いを出しました。何とまたその番号が、ANAのもので、結局問い合わせは、3日目のバスの中で、JALに掛けた処、それらしき物が有りそうな返事、詳細に付いては確認を取って、お返事をしてくれる事になりました。私はご主人様の鉢周りに、ピッタリで、とても気に入られています。その上歩く会の方から頂いた、手作りのコサージ、百歩譲って、それ
らを無くしてしまっても、残念ですが諦めますが、何としても、探さなくては成らないのです。hatちゃんに飾られた、アクセサリーのハットキーパが、大切なのです。息子のフィアンセの、Rちゃんから、母の日のお祝いに、頂いた物なのです。松山空港とやっと連絡がとれ、高松空港JAL1414便にて羽田につき、到着ロビー受付にて、ご主人様との再会を、果たす事が出来ました。私とご主人様とお友達の、賑やかな旅を期待していたのに、私の一人旅に、なってしまいました。JALの対応には、感謝しております。 会えて良かった~嬉しい。

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大歩危舟下り 徳島県

大歩危舟下り   徳島県
二泊三日の旅も、三日目に入り、もう今日は家に帰る日です。三回目の舟に乗ります。大歩危舟下りです。大歩危小歩危とは、大股で歩いても、小股で歩いても、危険なためこう呼ばれた、吉野川中流の渓谷です。連なる奇岩は全て、45度に傾いています。獅子岩やコウモリ岩など、形によって、ユニークな名前が付けられている。5月一杯は渓谷に、鯉のぼりが掛けられています。次の観光は香川県に入り、75番札所の善通寺です。弘法大師様の生誕の地で、中国から帰国した弘法大師自らが、807年より6年の歳月をかけて、建立した真言宗最初の根本道場です。広い境内には、大楠の神木や史跡・秘宝が残されている、御影堂の下に、戒壇巡りがあり、闇の中を手探りで[南無大師遍照金剛]と唱えながら、回りました。最後の観光は、瀬戸大橋を渡り、中間にある与島、瀬戸フィッシャーマンズワーフに寄り、瀬戸内海の景色を堪能しました。飛行機の時間を調整して、高松空港を、19時10分発で、羽田に飛び立ちました。今回のツアーは、何時も利用している旅行とはチョット違って、添乗員が付かない分、自分達が添乗員になり、切符やチケットを購入したりするのです。基本は個人旅行形式になっています。航空券往復と、1日目のAルート・2日目のBルート・3日目のCルートのバスのチケットを渡されて、途中下車も可能なのです。ホテルもランクアップ出来ます。5月7日~7月15日まで、JALと四国のタイアップで、キャンペーン中なのです。旅行代金は、25000円を払込、雑費をいれると、今回の旅費は、40000円です。宿泊代二日分と、飛行機代往復が入って、すごーく安いです。内容も充実していました。

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かずら橋 祖谷峡

かずら橋  祖谷峡
かずら橋  祖谷峡
平家落人伝説も残る渓谷に、シラクチカズラの弦を編んで造られた、長さ45㍍のかずら橋は、日本三大奇橋の一つです。入場料は500円です。行ったからには渡りましたが、足元が、丸太でくくられて、つるで編まれているので、そのまま谷がみえます。足を滑らせないように、手に力が入ってしまいます。その上つながって渡っているので、橋も揺れます。怖い思いをして、お金を払って来ました。

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桂浜 南水ホテル はりまや橋

桂浜  南水ホテル  はりまや橋
桂浜  南水ホテル  はりまや橋
昼過ぎからの桂浜は、坂本龍馬の銅像が、逆光で真っ黒に映ってしまいました。桂浜で砂浜を散策して、写真を撮りました。土佐闘犬センターで、闘犬ショウーを、観る予定に成っていたのに、今の時期は、開催されないということで、土佐犬の子犬と触れ合い、センターを見学しました。子犬といっても、3ヶ月も経っていると、中型の普通犬の大きさで、顔はブルドッグに似ていて、ちっとも可愛いくありませんが、行動はまったく、普通の子犬と変わりなく、休む事無くじゃれつき、体の皮膚が皮だけ、ビローンと10センチぐらい伸びます。だから闘った時は噛まれても、痛く無いらしい。なれると愛嬌があり、見飽きません。高知空港は日本で唯一つの、人名空港と言うことで、正式名は高知龍馬空港といいます。高知市内に入り、私たちが泊まる宿は、坂本龍馬の生誕地に建つ、ホテル南水で、オプションでランクアップしたけれど、期待した皿鉢料理や初カツオのたたきはガッカリ、昨日の椿荘の方が、お料理が美味しかった。夕食後タクシーで、はりまや橋のからくり時計を観に、8時に合わせて行きました。はりまや橋観光は、三大ガッカリに数えられていると
かで、ふ~んという程度ですが、からくり時計は時計から阿波踊りの人形が出てきて、五分踊りました。一時間ごとに出て来るそうです。帰りは商店街のアーケードを、お土産を買いながら、ライトアップされた高知城を見て、宿まで30分位歩いて帰りました。

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四万十川遊覧 沈下橋

四万十川遊覧  沈下橋
今回の旅行は、舟の遊覧が3回あります。その二回目が四万十川の遊覧です。日本最後の清流と呼ばれ、上流から下流までの流域に、ありのままの自然が残り、動植物や川魚などの、宝庫となっている。総延長196㎞で、海水と淡水が交差する、汽水域が約9㎞もあります。ここ気水域でしか採れない、貴重な天然青のりは、国内の九割はここ、四万十川で採れます。川の中ほどに行くと、観光用に投網を打って、川魚を捕ったり、柴漬け漁といってあらかじめ、椎の木などの枝を束ねた物を、川に沈めて、枝の間に隠れていた、ウナギや川海老などを、柴の束ごとすくい捕る漁を、観光舟が近ずくと、パフォーマンスをして、見せてくれます。沈下橋は四万十川に架かる橋で、川が大洪水で、水面に沈下する事を想定して、欄干が有りません。欄干があることによって、水の流れが悪くなり、更なる川の氾濫を防ぐため、最初から欄干を、造らないのです。実際に自動車が、橋を渡っているのを見ましたが、チョット怖いです。

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足摺岬散策 金剛福寺

摺岬散策  金剛福寺
摺岬散策  金剛福寺
昨日の雨が、ウソのような、良いお天気に成りました。朝のテレビでは、東京は大荒れの、台風が通過中とか、足摺岬は台風が何時も、通る所だけあって、地形の厳しい所です。岬には土佐清水出身の漁師で、鰹漁に出て嵐に合い、難破してアメリカの船に助けられ、そのままアメリカに渡り、働きながら教養を身に付け、色々な困難を乗り越え、明治の新政府を、外交面で支えた、ジョン万次郎の銅像が、建っている。灯台を囲むように、散策路があり、岬めぐりをしました。展望台は270度の水平線が、広がります。史跡や絶景ポイントでの、写真を撮ったり、弘法大師様が修行された場所、金剛福寺三十八番札所に、お詣りをしました。綺麗に整備され、建物も立派なお寺さんでした。

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竜串海岸と足摺海底館

竜串海岸と足摺海底館
今回、四国旅行二泊三日の1日目、最後の見学場所です。竜串海岸は、砂岩が波食や風食を受けて、形成された奇形岩の海岸です。海岸を散策しながら、10分程歩いた所に、海の中に海底館の、タワーが建っています。海底7㍍まで、螺旋階段で降りて、水族館のように、海の中を観察します。あいにく台風の影響で、視界は4㍍しかなく、餌を吊した窓にだけ、魚がいましたが、後は水が濁って見えません。入館料は800円でしたが、それでも視界が悪いということで、100円引いた料金なのです。雨の吹き付ける海岸を歩いた上、螺旋階段の、登り下りのおまけまでついて、何の収穫もなく、最悪でした。今日の宿泊先は、足摺岬に近い、足摺温泉郷のホテル椿荘です。

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南楽園 愛媛県

南楽園  愛媛県
南楽園  愛媛県
台風四号の影響で、雨は本降りになって来ました。南楽園は四国一の日本庭園で、15万㎡の広さがあり、東京ドームの四倍の、大きさがあります。池を中心にした、回泉式庭園で、今はお花は終わってしまい咲いていません。三万株の花しょうぶや・梅・桜・ツツジ等四季折々の花がみられそうです。手入れの行き届いたお庭に、感動しました。傘を差しながら、雨に濡れたみずみずしい緑の木々も、良いものだなと。入場料は300円のところ、シニア割引で150円でした。

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伊予の小京都 大洲 肱川遊覧船

伊予の小京都   大洲 肱川遊覧船
伊予の小京都   大洲 肱川遊覧船
内子から大洲のまちへ、バスは進み昔、京の公家が故郷を懐かしみ、京都の街並みになぞらえて、碁盤の目のやうに区画したり、大文字焼きや、肱川を加茂川に見立てたりと、言う事で、古い街並みが、残っています。朝ドラの[おはなはん]はここで撮影したそうで、おはなはん通りとしてマップに載っています。昼食は肱川の屋形舟に乗りながら、ゆっくりとおにぎりを頂きました。6月からは、鮎が解禁で、鵜飼い漁が始まるそうです。予報どうり雨がふってきました。

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内子座 愛媛県

内子座  愛媛県
内子座は、大正5年2月、大正天皇即位を祝い創設、木造二階建て瓦葺き母屋造り、この木造劇場は、木蝋や生糸などの生産で、栄えていた時代にたてられ、農閑期には、歌舞伎や文楽、またときには映画や落語がかかり、当時の人々の心の糧、文化的な拠り所として愛された。劇場名を[内子座]という、老朽化して取り壊しに成るところを、内子町の有形文化財として、町民の熱意により復元した。昭和60年10月劇場として再出発。現在は年間七万人、80日近く劇場として、活用されている。催し物がない時は、見学が出来ます。大人300円。

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内子街道

内子街道
松山空港を降りてから、一番目の観光です。昔、和蝋燭の生産で栄えた街道で、今も古い家並が保存され、観光地になっています。

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ウェスティン名古屋キャッスルホテル

ウェスティン名古屋キャッスルホテル
今日、 名古屋のお父さんからDVDが、送られてきました。先日ウェスティン名古屋キャッスルホテルでの、両家親族の顔合わせの模様を写したDVDです。内容に付いて、大変謙遜されていましたが、大切な日の記録として、十二分な出来映えでした。機械物は暫く使わずにいると、すっかり忘れてしまいます。私もザルツブルクから二三回使ったきりで、上手く撮る自信が有りません。4月に撮った桜、本当に素晴らしいですね。色も鮮やかに、名古屋城をバックに良く撮れていました。お父さんの想いが、画面からも感じられました。ぜひこの名古屋城と、春でしか見ることが出来ない、素晴らしい桜を、遠来の客に見ていただきたいと計画されていた事、有り難く思います。そしてこの景色が何処よりも一番、手に取るように桜が見られる場所、ホテルを予約され歓待を受けました。ウェスティン名古屋キャッスルホテルは、彼方のご両親の思い出深い場所とか、ぜひお祝い事に使いたいと想われていただけに、大変風格のある、高級感溢れるホテルでした。会食の席は11階のラウンジレストランでした。個室に入ると目の前に、部屋一杯の大きな一枚ガラスがあり、その向こうの景色に、声を失いました。眼下は目の眩む深さの堀割り、新緑の木々の真ん中には、優雅な美しい姿の名古屋城、蒼い緑青のかかった屋根瓦、燦然と輝いている金の鯱、180度のパノラマです。フランス料理も美味しかっですが、なんと言ってもこの景色には勝てないでしょう。自慢話が出来ました。
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あつた蓬莱軒 [本店(陣屋)] 名古屋市

あつた蓬莱軒 [本店(陣屋)] 名古屋市
あつた蓬莱軒 [本店(陣屋)] 名古屋市
あつた蓬莱軒 [本店(陣屋)] 名古屋市
名古屋に行った続きです。名古屋は歴史的史跡の多い所ですが、やはり独特な食文化は体験の価値は有るでしょう。特に名古屋の喫茶店のモーニングは、食べてみたかったが、昼食がフランス料理のフルコースが控えているので、叉の機会のお楽しみに、後はみそカツ・天むす、それに(ひつまぶし)です。食べてみたい物は沢山有りますが、お腹は一つです。ホテルの食事の席で話題に上り、夕飯も叉名古屋のご家族と一緒に、ひつまぶしを食べようと言う事になりました。夕食までの時間は、徳川園と美術館の観光に充てました。
お天気も良く名古屋の文化を堪能させて頂いている間、親戚の方は蓬莱軒本店に、五時頃から並んで場所取りをしてくれていました。今は雑誌やインターネットなどで、此処のお店は有名に成っていて、二三時間待ちは当たり前と言うお店なのです。六時過ぎ名古屋高島屋によって、お土産でも見ようとしている所に電話が来て、お店に入れたから直ぐ来るようにと、名古屋駅前から名鉄神宮前駅方向へ、場所は国道19号線と国道1号線の交差点から近い、神戸町にあります。ナビゲーションに従い走行、30分位掛かりました。駐車場には警備員が三人も車の整理に当たり、お店の中は玄関や廊下は、順番待ちの人たちが溢れていました。お陰様で着いてから、10分程で呼ばれ、急な階段を上り、20畳位の部屋に通されました。幾つも卓があり先客で一杯でした。私達でも11人なので、40人は居たと思います。早速注文を、先方のお父さんのお勧めで、肝焼きと肝ワサをたのみ、父親二人はまたまた生ビールで乾杯をしました。つまみの肝ワサは湯引きした肝を、ワサビで食べるのですが、肝が大きくて臭みが無く、プリプリです本当に新鮮でした。肝焼きも今まで食べてきたのは何だったのと言う味でした。お店のいち押し看板(ひつまぶし)並みと大盛が有りましたが、並みを注文、細かく刻み込んだ蒲焼き、熱々のご飯にタレが程良く染み込んだひつまぶし。一善目はそのままに、さっぱりと薬味で二膳、だしをかけて茶漬けで三膳と、色々の食べ方で楽しめました。お茶碗三膳お腹一杯、残してしまいました。甘めのタレが私の口に合い、大変美味しかったです。名古屋の忘れられない味に成りました。近県から長時間待っても、食べに来るのが分かります。私も又食べに来たいと思います。又お言葉に甘えて彼方様にご馳走に成ってしまいました。この度は本当に有難うございました。帰り道お土産に、ういろう・きしめん・うなぎパイを買って帰りました。

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徳川園 名古屋市

徳川園   名古屋市
徳川園   名古屋市
4月19日、名古屋に行った続きです。お城の他に観光名所と言えば、熱田神宮 と徳川園でしょう。去年熊野古道の帰り道、熱田神宮へ参拝をしたので、今回は徳川園に向かいました。庭園の中は日本庭園で、徳川御三家筆頭尾張藩第二代藩主光友が、自からの隠居所として大曽根屋敷を造営したことを起源としています。その後は明治になり尾張徳川家の邸宅となり、十九代当主義親から、昭和6年名古屋市は邸宅と庭園の寄付を受けた後、改修整備を行い、翌年徳川園として一般公開しました。戦争によって、ほとんどの建物や樹林などが焼失してしまいました。戦後公園として改修し、平成十六年に日本庭園として、再整備を行い開園しました。矢田川の高低差の地形を生かして、照葉樹の森、大きな岩組みが特徴で変化に富んだ景観を見せています。園内は今が見頃の、一千株の牡丹が豪華に咲き誇っていました。名古屋城も庭園も流石に徳川御三家、格式の高さにうっとりさせられました。一見の価値有りです。

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東名高速道路 名古屋往復

東名高速道路  名古屋往復
東名高速道路  名古屋往復
名古屋へ行って来ました。娘の婿さんの御両親から、ぜし名古屋に其方の家族皆さんで来て欲しいと、有り難いお誘いをいただき、喜んで行くことになりました。長男は仕事なので、次男の運転で、愛車ジャガーにて出発しました。越谷を6時に、三郷口より入り、首都高の池袋線竹橋Jctを抜け、渋谷方面から東名にはいりました。環状線にかわり、緑が多くなり、遠くの山々が間近に、新緑の匂いと、朝の新鮮な空気を斬って、颯爽と飛ばしましたよ。実は次男は、カーキチなのです。5〜6年前には、自前ですが年に数回、カーレースに出て、トロフィを取っている腕前です。名古屋まで400㎞、この長距離を見逃すわけが有りません。車線は右側のみ走行、追い越す時だけ左手に回って行きます。平均速度120〜140㎞、最高速度は180㎞のスピードで飛ばすので、横を見ると景色が飛んで見えません。前を見て、足を踏ん張っていました。流石に愛車、横ぶれなし、ピタッと貼り付くように走りました。名古屋城前のホテルには、11時に到着しました。ロスタイムは、大井松田の事故渋滞と、サービスエリアの朝食タイム、トイレ休憩二回を差し引くと、
3時間30分で走行しました。帰りは婿さんと息子の二人で交代して、トイレ休憩を入れ、21時に出て、1時に帰宅をしました。[全走行800㎞ガソリン100リッター道路料金往復17100円]

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