« 民生委員親睦旅行Ⅱ (姨捨駅) | トップページ | 山東菜 漬け物 »

民生委員親睦旅行 八幡温泉(長野県)

民生委員親睦旅行  八幡温泉(長野県)
民生委員親睦旅行  八幡温泉(長野県)
民生委員親睦旅行  八幡温泉(長野県)

1月21日~22日(1泊)

信州千曲川のほとり、あまり世間では知られていない、信濃鉄道の屋代駅から10分程行った、小さな温泉郷、八幡温泉に生活部会の仲間とOBでの、親睦旅行です。

bus宿からの往復送迎付きバスが、南越谷駅迄迎えに来てくれて、11名で8時に出発しました。上信越自動車道を下り更埴ICで降りました。早めのお昼を、今日宿泊の八幡温泉『うずら屋』さんに立ち寄り、打ちたて揚げ立ての信州そばを、お代わりし放題でお腹一杯食べました。やはり本場の新そばは香りが有って美味しかったです。午後からは宿から1時間ほどの松代市へ、真田宝物館に入館、ボランティアの方の説明を聞きながら、一つ一つゆったりと見て巡りました。

    『真田宝物館』

  shoe真田宝物館は松代藩主真田家に伝わった、大名道具を収蔵展示しています。昭和41年12代当主真田幸治氏より松代町に、伝来の道具類が一括で譲られたので、宝物館が開館されました。

   『真田氏について』

   shoe真田氏は今の上田市が発祥の地で、歴史上その存在が確認されるのは、戦国時代の真田幸綱の頃からです。幸綱は武田信玄の下でその才能を発揮し、名を轟かせました。幸綱の長男信綱と二男・昌輝が長篠の戦いで共に戦死すると、三男昌幸が真田家を継ぎ、上田城の築城など、真田家繁栄の基礎をつくりました。

 昌幸は長男・信之、二男信繁(幸村)と共に、戦国乱世の中で武略と奮戦によって、武門真田の名を高めました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは親子・兄弟分かれて戦い、戦後徳川の天下となって以降、信之は父の上田領を与えられ、父・昌幸は高野山ろくに蟄居させられて没し、弟・幸村は冬の陣に大阪城に入り、徳川軍を悩まし、夏の陣の華と散りました。

  元和八年に信之は上田から、松代十万石の藩主として移り、この後、松代藩は真田氏により十代約250年の間、信濃の雄藩として治められました。先代の、親兄弟に分かれての、辛い戦いがあって真田家を守り残した、武士魂には驚きます。

 真田家の当主の方は、現在横浜にお住まいで、慶應大学の教授だそうで、松代のお祭りには藩主として、ご本人が殿様の装俗をして出られるそうです。私も学生の時は日本史が好きで、時代物はとても興味が有ります。

   『松代城趾』

 松代藩は千曲川を堀として、三方を山に囲まれた平城でした。真田氏は十万石の信州一の大藩でした。1995年に、石垣だけしか残っていなかったのを環境整備して、文献調査や発掘を進めて、櫓門、木橋、石垣、土塁、堀、などの修理修復をはじめ、2004年4月より江戸時代の姿に再現されて、公開されています。

  『文武学校』

  藩士の子弟の学問・武芸を奨励するため、真田家八代藩主・幸貫は、佐久間象山らの意見を受け入れ、藩校の建設を目指し、九代藩主幸教が意志を受け継ぎ、安政二年(1855)に開校しました。文学所・御役所・教室二棟(東序、西序)、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所、文庫蔵、番所、門などからなっています。 8歳から14歳位までは文学などの勉強を、15歳から35歳までは武芸を習ったといわれています。一時期松代小学校として、使われた事もありましたが、昭和28年に国の史跡に指定され、昭和54年から一般公開されるようになりました。

  松代の町並みの風情が、ゆったりのんびりの散策には、冬の景色と合い間って、久しぶりに落ち着きました。Mさんが松代城趾前にある和菓子屋『竹風堂』の栗餡の最中を皆さんに買って下さり、大変美味しかったです。私もお土産に栗ようかんを買ってきました。本店は小布施にある和菓子の老舗です。長い白壁塀をあるき、真田邸を時間の都合で抜かして、バスに戻りました。

  『武水別(たけみずわけ)神社』

 うずら屋の目の前が、武水別神社なので、部屋に上がる前に皆さんで、お詣りをしてきました。樹齢何百年の大木が、神社の荘厳なたたずまいが、一層歴史の重さを感じさせます。謙信や信玄も戦勝祈願に詣でた、由緒ある神社です。近在の五穀豊穣と千曲川氾濫防止の祈願のために、創建されました。お社の銅板の、屋根の蒼さが私は好きです。 早めの宿入り温泉に浸かり、六時からの夕食、カラオケを交えての、楽しい一夜を明かしました。

|

« 民生委員親睦旅行Ⅱ (姨捨駅) | トップページ | 山東菜 漬け物 »

旅行・地域」カテゴリの記事